『アカイヒト』は東京では知る人ぞ知る怪奇映画、『ナショナルアンセム』も関西では知る人ぞ知る陰謀映画。知る人ぞ知る映画というのは、見た人たちはそのあまりに異様な感触に撃たれ「見た見た」とその異様さを語りたくてたまらなくなるのだが、何故か一部のコアな映画ファンの間でのみ語られるにとどまる、そういう映画なのだが、今回の『狂気の海』カップリング上映の大きな目的の一つは、そういう映画を堂々と公開し、あってもいいことにしてしまおうと、そこにあった。
しかし、僕自身、ユーロスペース2の大スクリーンと音響でこの2本と久々に出会い、驚いた。まったく別の映画にすら見えるのだ。
『アカイヒト』はここまで暴力的な音の映画であったか(まあ『狂気の海』と同じボリュームで上映しているので、ユーロスペースですらめったにあり得ない上映なのだが)、そして『ナショナルアンセム』はここまで豪快にカットを割った活劇であったか(上映後、西尾監督に尋ねたら、彼は確固たる信念で、今時ならワン・カットで表現するのが常套の暴力描写に逆らい、つながらないカット割をしているのだ)。
『アカイヒト』でつぶやかれる意味不明な声は、もちろん大音響で聞いても意味不明なままで、それは録音状態のせいではなく、よりによってエスペラント語をしゃべっているのだから判らなくて当たり前なのだが、一応、そのエスペラント語の日本語訳が字幕で出ている(たぶんそうだと思う)のが、とてもそんな親切なことが起こっているとは思えなくらい音も字幕も別個の存在として迫り、観客を物語の縦糸にいざなうのとはまるで違う世界に引きずり込んでしまう。遠山監督にそんな気はさらさらなく、いつも懸命に物語を観客に語ろうとしているのかも知れないが、暴力とはそういう人が起こすのだろう。ちなみに何でエスペラント語なのか、その謎めいた理由については、監督自身がこのサイトで語っているので、ぜひ読んで欲しい。
ところで、『ナショナルアンセム』は、内輪の上映会は別として、劇場では今回が東京初上陸だとは意外だった。そういえば5月のCO2東京上映でもかかっていない。
黒沢清イチ押しでCO2グランプリに選ばれた作品が何故‥‥と思ったが、西尾監督自身、整音があまりに自主映画レベルで到底劇場では無理、と諦めていたそうだ。
いやいやそんなことはないわけで、とにかくやってしまえばありになるのが今回の趣旨なのだけど、さすがに監督は整音をやり直したらしい。だから今回の『ナショナルアンセム』がまだ誰も見たことがない『ナショナルアンセム』であったのは道理である。実は第1回目の上映に駆けつけてくれたみなさんには申し訳ないのだが、この時の上映では後半、不測のノイズが生じていた。監督は場内でひっくり返りそうになり、動揺のあまり上映後もしばらく何をしゃべっているか判らない状態であった。要するにもう1回書き出し直したテープを送りますので、どうかそちらを‥‥。というわけで、2回目上映の際には、より修正された音響の『ナショナルアンセム』が上映されます。重ねて、第1回目の上映のみなさん、申し訳ありませんでした。
普通、あり得ないことをありにしてしまうために、『アカイヒト』『ナショナルアンセム』2回目の上映、よろしくお願いします。『アカイヒト』上映の7月7日には、中原昌也氏との緊急追加トークもあります。もちろん、『狂気の海』だけではなく、『アカイヒト』についても語って貰います。