『一万年、後....。』アーカイブ_映画:『狂気の海』 | CineBunch

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 対談高橋洋 『狂気の海』 脚本/監督
   ×沖島勲 『一万年、後....。』 脚本/監督

kyouki05.jpg名古屋シネマテークで7月26日(土)から8月1日(金)までの公開を控えた『狂気の海』と『一万年、後....。』の両作。(未見の方々のために詳細はつまびらかに語れないのだが...)この二作を並べてみると「消滅に」向けて進む物語と「消滅から」向かってくる物語という逆ベクトルの推進力が交錯し合うトンでもない磁界が劇場に生まれるようである。
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そこは映画の廃墟か墓場か、はたまた未来を指し示す可能性なのか...そんなことはよく分からないが、地下が蠢き、頭上に電波が行き交うその空間に何も知らず足を踏み入れてしまったお客さんはさぞ大変だろう。映画は元来アトラクションではあるが、そこはブラックホールが全てのものを容赦なくアトラクトするような「条件なき」娯楽の漆黒空間なのだから。
世代も資質も違う二人の作り手が今現在、同時代者として映画を作る--それがどのようなことなのか、今から大いに語ってもらおうではないか。
kyouki08.jpg沖島:Vシネマって言うけど、高橋さんはどういうのやっていたの?

高橋:僕がやっていたのは最初は東映ビデオでダブルエックス(XX)シリーズっていう女の殺し屋もので、エロティックとアクションが組合わさったものでした。あの頃は僕の仲間たちがいわゆるエッチVシネと言われるものをやっていて、ギリギリまだジャンル映画として機能していたんですね。今でもなくなった訳ではないけど、僕らのやっていた頃の月に何十タイトルと量産されていたVシネという形とは違ってきていますね。
okishima1.jpg演出

高橋:沖島さんはシナリオを書くときにどういう風に俳優が台詞を言うのかトーンやリズムについて脚本の段階で決めていますか。

沖島:うん。僕はシナリオを書くときが勝負だね。そのときにカット割りとか一応頭の中で大まかに決めて、シナリオを書いています。

高橋:そのやり方だとホン読みだとか、リハーサルだとか、現場でいざ撮影という段階になって、俳優さんの台詞の発し方に違和感があったりしませんか。

沖島:ほとんどないですね。そういうことがあるのは、何十回に一回くらいです。

1man-3.jpg映画と外側の世界

進行:『狂気の海』では憲法九条が題材として扱われています。高橋さんは『アメリカ刑事』でも9.11に関するチョムスキーの著作を映画の中で撃ち抜いたりしています。一方で『一万年、後....。』でも小泉純一郎や郵政民営化といった時事ネタが出てきますが、こういった映画に出てくる政治的な事柄についてどうお考えでしょうか。

沖島:『狂気の海』は憲法九条の話がなかったら全然面白くないですよ。憲法九条が語られて、日本列島が沈む、それくらいの構えでいかないと大嘘を語る面白さっていうのが出て来ないと思う。それに核爆弾がアメリカに発射されるとか、日本憲法のことを映画でどうしてやっちゃいけないのか。これは重要な話だよね。例えば『一万年、後....。』でも文化庁の助成の選考から漏れた訳だけれど、映画の中で小泉純一郎を名指しで出さなければ結果は違ったかもしれない。あくまで推測だけどね。それでも、僕は絶対にそこを消さない訳。重要ですよ、思ったことをちゃんと言うってことは。それをびびっているんだったらさ、なんで映画なんか作っているんだって話になるよ。『YYK論争』でもNHKとか司馬遼太郎といった固有名詞を出しています。これは映画の中の世界を僕らが生きている現実に引き戻すというところもあるし、とにかく思ったことは言わなきゃいけない。『狂気の海』も安倍晋三をモデルにしたキャラクターが出て来なかったら、面白さが全くなくなると思いますよ。作るほうもドキドキしながら作らざるえない中でやるんだっていうね。
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