『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』ノート #2(松村浩行)_狂気文書_映画:『狂気の海』 | CineBunch

■ 『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』ノート #2(松村浩行)

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ご覧くださる方と、ご覧くださった方のために!
 
数年ぶりに、この作品に関する雑多な書類が詰まった大判の封筒の中味を漁ってみた。
当時参照した資料、企画書、ロケハン時の写真などが次々に出てきたが、なかでも思いがけずに懐かしく、
手にもしっくり馴染むようなのは、やはり撮影用のシナリオだ。
 

 

「OKUTAMA」「EGOTA」というふうにロケーションごとに分けられ、さらに「YESMAN 1」「YESMAN 2」「NOMAN」というように各ヴァージョン別にまとめられた台本をめくると、すべてひらがなで表記されたダイアローグとト書きとが、びっしり横書きで並んでいる。日本語の初学者向けのテクストのようでもあるが、どこか暗号めいた不穏な印象さえあって、これをつくった本人ながら、撮影から六年の時を隔て、少し異様に感じたのだ。
日本語をネイティヴとしない出演者のために、という実際的な理由が無論大きかったのだが、しかしそればかりではなかった。すべての文字がひらがなに変換された横書きの台本をわざわざつくり、持ち歩き、始終それに見入ることで、僕自身の日本語に対する向き合い方をほんの少しだけズラしたかったのだ。日本語に対して外国人になりたかったといってもいい(こういうとまるで一時期の新庄剛のようだが...)。

 
自然な環境としてある母国語を出来るだけ軋ませること、母国語から内発的な見せ掛けを奪って、外在的な物質感・異物感を剥き出しにすること。決して理路整然と考えた上ではないのだが、そのような狙いがあったことは間違いないと思う(いや、そんな小手先の方途では日本語の圧倒的な磐石ぶりを揺るがせることなど到底出来ないとは当時もわかっていたが、にも関わらず、やはりそうしたかったのだ)。
と同時にそれは、一般に映画台本が採用している慣例的な書式を異化することでもあったように思う。これから映画を撮る時は全部このスタイルで行く、とスタッフに口走り、まるで理解を得られなかったことをぼんやり憶えているが、無理はない。それはたんに読みにくいだけだ...。

 
日本語を「手篭め」にすること。それは表記の問題である以前に、何より翻訳の問題だった。 シナリオを作成するために、岩淵訳を参照しつつ、ドイツ映画研究者の渋谷哲也さんの多大な協力を得て、一文一文に細かな検討を加えていった。その際の大きな方針は、日本語としての自然さよりも常に原文に忠実な逐語体を優先させること。主語や所有格をなるべく省略せずに、慣用的な言い回しも日本語の文脈に置き換えることなく、出来る限り直訳で通すこと。また行分けに関しても、原文でなされている通りにした。

 
「学校オペラ」と名付けられたこの戯曲だが、ヴァイルの作曲は初稿「イエスマン」にしか付けられておらず、この映画においても伴奏音楽を用いることは初めから考えなかった。そのため、詩型による行分けを尊重すること自体にはまるで意味はないのだが、その部分についても、あくまで行分けはテクストに従った。

 
三鷹にある渋谷さんのお宅や、時にルノアールの店内などで、渋谷さんの懇切丁寧な解説を受けながら、ワンフレーズごとに、ぎこちなく言葉を組み上げていく作業は本当に新鮮で、スリリングだった。

 
このような翻訳へのアプローチは悪しきテクスト主義との誹りを受けるかも知れないが、僕はテクストそのものの正統性に追従していたのではなく、それが抵抗力を持って外在していることを何より体感したかったのだ。映画をつくりながら、テクストが示す執拗な抵抗力を味わうこと、しかもそれを原文によらず、翻訳という不純さを介して、あくまで日本語の問題として感じ取りたいという倒錯した思いが、確かにそこにはあった。
(続く)